「俺が、田代さんと会ってる? いつ?」
「覚えてない? 日曜日で、金曜日に私たち喧嘩して、それで日曜日にコウがわざわざ唐草ハウスにまで謝りに来てくれて」
説明されて、コウはぼんやりと天井を見上げる。やがてあっと小さな声を出し、目をパチクリとさせてツバサを見た。
「あれの事?」
「アレの事」
コウは大きく息を吸って、肩の力を抜く。
「だから、あれは」
「わかってる」
ツバサは強く遮る。
わかっている。あの出会いは偶然。二人は会おうとして出会ったワケではない。コウには後ろめたい気持ちも無い。その証拠に彼は、里奈と会った事を隠しもしなかった。
わかっている。わかっているからこそ、そんな二人を疑う自分を、醜く思う。
少し俯いて押し黙ってしまったツバサに、コウはため息をつき、背凭れに身を預ける。
「俺、ひょっとして鈍感過ぎたとか?」
「え?」
「いや」
コウは背筋を伸ばし、今度は少し身をテーブルに寄せてグレープフルーツジュースのグラスを握る。
「俺が田代さんと話すと、やっぱり気になる?」
「えっと、あの」
「俺、ズレてたのかな?」
「は? ズレてた?」
「いやさ、変に意識し過ぎた方が、かえって不自然なのかもしれないって思ってたから」
「不自然?」
「あぁ、田代さんと話をしたらツバサが気にするかも、なんて気をまわした方が、かえってツバサの誤解を招くのかもしれないなんて考えてたんだ。だから、田代さんとは、他の子と同じように接するのが一番無難なのかもしれないって」
「えっと、それは」
「だから、田代さんをわざと避けるような行動は、逆によくないのかもしれないって思ってた」
ストローを横へズラし、グラスから直接ジュースを一口。乾いた唇と喉に心地良い。
「でもそれって、間違ってたのかもな」
「そ、それは」
「ごめんな」
コウは顔を寄せてくる。少し垂れていて、軽薄そうで、でも実はすっごく誠実で、優しくて暖かい。
「ごめんな。俺、間違ってた」
「そ」
そんな事ないよ。
胸が苦しくなる。
悪いのはコウじゃない。コウは私の事をすごく心配してくれている。私が辛い思いをしなくてもいいように努めてシロちゃんと接してくれていた。
悪いのは私。全部私。
「ごめんな」
謝られると、涙が出そうになる。
こんなに優しいのに、どうして自分は疑ったりしてしまうのだろう?
「俺が悪かったよ」
「なんで、コウが謝るのよ」
「へ?」
消えそうな声に、コウは目を丸くする。
「コウ、ズルいよ」
「え? 何? ズルい?」
ワケがわからず面食らう。
「ズルいって、何が?」
「だって、そんなに優しくって、物分り良くって、そんな人が彼氏だったら、私、本当に自分が情けなくなっちゃう」
情けなくってみっともなくって、でも、コウはそんなツバサを醜くも汚くもないと言ってくれる。
優しいコウが好き。でも、優しくされると、自分の情けなさを強く感じる。
なんて我侭。結局悪いのは自分だ。コウと比較して卑屈になっているだけ。
コウの傍に居たら、自分に自信が持てなくなっちゃう。怖いと思う。すごく怖い。コウが優しくしてくれればしてくれるほど、言いようもなく怖くなって、情けない。
じゃあ、コウと別れる?
そんなのは嫌。
心内でぶんぶんと頭を振る。
じゃあ、どうすればいいんだろう?
どうすればいいかなんて、そんな事はわかっている。
もっと自分を変えなきゃ。もっと強い自分に。
弱いから、情けないから、だからもっと強くならなくちゃいけない。
「コウが立派過ぎて、自分に自信が持てないの」
「俺? 俺のどこが?」
「そういう、謙虚で鈍感なところとか」
「ど、鈍感?」
呆気に取られながらも少し憮然としたように口を尖らせる。自分は鈍感だったのかもしれないなんて言ってはいたが、他人から言われるとなんとなく癪だ。
そんな相手の表情に、ツバサは思わず噴出してしまった。
こういうところも好き。優しいところも好き。全部好き。大好き。
だから、ずっと一緒にいたいの。だから自分は強くなりたい。
「コウの傍にいたいから、だから私は強くなりたいんだ」
「今のままでも十分だとは思うんだけどな」
頬杖をつく。
「って言ったところで、ツバサ自身が納得しないんだもんな。ったく、厄介だよな」
「ごめんね」
「謝るな」
呆れたような表情に、ツバサはふとおかしくなった。声をあげて笑ってしまった。
全部好き。大好き。
「コウの事、好きだから。だから私、もっと強くなるね」
まっすぐに向かい合って笑い出すツバサにポカンとし、だがしばらくしてコウも歯を見せた。
ポンッと頭の上に手を乗せられる。
「今度もし兄ちゃんにまた会おうなんて思うんだったら、その時は俺も連れて行けよ」
「え?」
「俺も一緒に会ってやるよ。なんだか一筋縄ではいかないみたいだけどな」
「コウ、物分り良過ぎ」
「え?」
ポツリと呟いた言葉は、コウの耳には届かなかったようだ。
「何?」
「ううん、なんでもない」
ツバサはニッコリ笑うと、皿を持って立ち上がった。
「さ、ラストスパートよ」
片手で拳を握り締めるツバサを、コウは複雑な面持ちで見上げた。
「と、いうワケさ」
廊下で窓に肘をついて外を見上げる。そんなコウの横で、美鶴は彼とは反対に壁に背を預け、つまらなさそうに足元を見つめる。
「つまり、私はお前のノロけ話を聞かされるためにここまで呼び出されたというワケか」
休み時間の廊下。特別教室が並ぶこの階には、人影はほとんどない。先ほど生徒が一人通ったが、好奇の眼差しは向けてきたものの、立ち止まって声を掛けてくるような事はしなかった。
「くだらない話に時間を割いているほど、私は暇じゃない」
そう言って離れようとする相手を、片手で制する。
「最後の言葉、どう思う?」
「最後?」
「物分り良過ぎ」
しばし無言で二人は見つめ合い、やがて美鶴が小さく嘆息した。廊下は寒い。白い息が漂って消えた。
「言葉の通りだろ?」
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